2024.3.4-2024.3.25

 毛利悠子がイタリアにある海に面した都市ヴェネツィアのビエンナーレに出発する。日本館の代表アーティストとして。ヴェネツィア・ビエンナーレは1895年に創立された、現代美術が主軸となる芸術祭で2年に一度、開催される。
19世紀に流行した万国博覧会をモデルにしており、日本のような主要国は広いビエンナーレ会場の中に固定のパヴィリオンをすでに建設している。芸術にオリンピックのような競争原理は馴染まないが、優れた展示に対しては金獅子賞と銀獅子賞、という形の賞が授与される。ちょうど、ノーベル文学賞のように、美術に関わる人間は4月の半ばに発表されるその結果にその都度、やきもきするのだ。
 海の都市ヴェネツィアに出発する毛利のことを知る目的で、海に関わる小さな展示「Vaghe onde sole」を組み立てた。イタリア語で作られたこのタイトルから簡単に説明しよう。イタリア語で「vaghe」は曖昧さを意味する形容詞「vago」の複数の女性形である。「onde」は波を意味する名詞「onda」の複数形。日本語にも「音波」という言葉があるようにイタリア語でも「音」と「波」は同じような意味で用いられる。「sole」は孤独な、を意味する形容詞「solo」の複数の女性形である。したがって、表面的には「曖昧な孤独な波」。ただ、イタリア語が面白いのは「sole」が名詞となり、
同時に太陽を意味することである。そして「onde」はどこから、という疑問詞ともなる。「Vaghe」を人の名前にすれば、「ヴァーゲさん、太陽はどこから」とも読め、多様な意味が現れる。
 今回は彼女と、北海道を拠点とする平川紀道、そしてロスアンジェルスを拠点とするデヴィッド・ホーヴィッツが参加した。毛利も含めて、いずれのアーティストも、表現素材としては比較的新しいメディアではあるが、でも我々が日常的に使いこなしている電気信号、ネオン、コンピューター処理を経由しての表現を行っている。
 毛利の作品の場合、千葉の海の映像をまずは素材にしている。その映像に録音された波を含む自然の音が部屋に置かれたピアノに接続されたマイクによって拾われ、これらの音が「電気的」に変換されて新しい曲となって自動演奏されていく。自然の環境音を出発点とすることで、そこには不正確さとタイムラグが生まれ、自然の音が電気信号を経由して変換されながら、もう一つの自然がピアノ音となってパラレルに展開されて体験される。
 デヴィッドは2020 年に LA で行われた個展で《oceaean》というネオン管を用いて文字の作品を発表した。海を意味する「ocean」という単語を新しい綴りで強風に吹かれた波のように表していた。今回はよりシンプルになった「sea」の単語を変化させて《seaeaea》としている。このように言葉や詩の中に彼は自然からのインパクトを受けた残像や余韻を与えて、より豊かな音による言語空間に加え、我々の頭の中に広がりのある空間イメージを伝える。
 平川はアイヌの居住地の白老の海岸で見つけた流木を撮影したデジタル画像を、その画素の明るさの値をアルファベットの総数で割った余りに対応するアルファベットに置換して英字列へと変換させる。その英字列を辞書と照合して、
存在する英単語を羅列していくことで、英文を自動生成するプログラムによる作品を作る。こうして、偶然発見された自然は、平川が決めた約束事で一旦は置換されて、自然を超えた新たな言葉や姿を発するようになる。
 自然たちは物言わぬ存在ではない。先のコロナ禍の中にあって自然は我々の最大の友人だったのではないだろうか。
3人のアーティストたちの手で、自然は歌いだし、震えだし、そして新たな言葉を息ぶくのである。

キュレータ― 拝戸雅彦